大分・九州 観光 大分県の歴史散歩 Oita Kyusyu History



大分・九州 観光 大分県の歴史散歩 歴史年表
 Oita Kyusyu History

2022年4月7日更新
時代 西暦 年号 事項 日本 外国
旧石器時代 佐伯市聖獄洞穴、豊後大野市岩戸遺跡、大分市丹生遺跡、他
縄文時代 早期 早水台(そうずだい)遺跡/日出町川崎、杵築市川原田洞穴、
枌洞穴(へぎどうけつ)/中津市本耶馬溪町、久重町二日市洞穴
前期 国東市羽田遺跡、竹田市竜宮洞穴、大分市横尾貝塚
中期 豊後高田市六所権現岩陰遺跡 約5000年前、火焔土器の出現
後期 大分市小池原貝塚、豊後高田市森貝塚、宇佐市立石貝塚、
豊後大野市夏足原遺跡
晩期 豊後大野市大石遺跡、由布市下黒野遺跡
弥生時代 前期 宇佐市東上田遺跡・台の原遺跡、日田市吹上遺跡、佐伯市白潟遺跡 紀元前5世紀、稲作の開始 79年ベスビオ火山
噴火ポンペイ埋没
(イタリア)
中期 宇佐市野口遺跡・樋尻道遺跡、大分市雄城台遺跡
後期 竹田市石井入口遺跡、宇佐市別府(びゆう)遺跡、国東市安国寺
集落遺跡、豊後大野市二本木遺跡、大分市守岡遺跡
239年頃、卑弥呼が魏に遣使
魏志倭人伝 邪馬台国 金印
古墳時代 前期 日田市小迫辻原遺跡、国東市下原古墳、宇佐市赤塚古墳・免ヶ平
(めんがひら)古墳、杵築市小熊山古墳、宇佐市福勝寺古墳
300年頃、大規模古墳の出現
大仙陵古墳(現、仁徳天皇陵)等
中期 大分市亀塚古墳・築山古墳、臼杵市臼塚古墳・下山古墳、杵築市
御塔山古墳
後期 日田市ガランドヤ古墳・穴観音古墳、大分市千代丸古墳、国東市
鬼塚古墳、別府市鬼の岩屋古墳
飛鳥時代 571年 宇佐神宮 ご示顕(じげん) 八幡大神(第15代応神天皇)
第29代欽明天皇の時代
593年聖徳太子、推古天皇の摂政
600年遣隋使派遣、小野妹子
645年 大化元 羅漢寺、開基:法道仙人(インド) 645年大化の改新 天智天皇(中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)即位
663年白村江の戦い(百済)、唐・
新羅連合軍に敗れる
672年壬申の乱 天武天皇即位
694年藤原京に遷都
701年「大宝律令」完成
702年 大宝2 豊前国戸籍・豊後国戸籍が作成される。豊前仲津郡丁李里・
上三毛郡塔里・加自久也里などの戸籍、正倉院に現存
奈良時代

710年平城京に遷都
718年

725年

733年
746年
749年
769年

784年
養老2

神亀2

天平
天平18
勝宝元
神護
景雲3
富貴寺(国宝、開基:仁聞 豊後高田市 重要文化財)
両子寺 開基:仁聞 国東市
宇佐八幡宮宇佐郡小倉山に御殿を造立、八幡神(応神天皇)を
祀る。総本宮、全国4万社余
宇佐神宮二之御殿 比売大神(ひめがみ)女神を祀る、
龍岩寺(りゅうがんじ)開山:行基(ぎょうき):宇佐市院内
八幡神入京
宇佐八幡神託事件 大宰主神習宣阿蘇麻呂、道鏡天位託宣を奏す。
これにより和気清麻呂道鏡掃除の神託を奏す。
長岡京遷都





752年東大寺大仏殿の完成

平安時代

794年平安京遷都(桓武天皇)
823年
弘仁14 宇佐神宮 三之御殿神功皇后(じんぐうこうごう)を祀る。
(応神天皇の御母)
804年最澄、空海の入唐
866年応天門の変(藤原氏摂政政治
827年 天長4 延暦寺金亀和尚、宇佐八幡を勧請し、柞原(ゆすはら(油原)
八幡宮を建立。
860年宇佐神宮を勧請し清和天皇
京都岩清水八幡宮創建

919年大宰府天満宮創建
(福岡)
921年筥崎宮(はこざきぐう)
創建(福岡)
867年 貞観9 鶴見山噴火、火男・火売(ほのおほのめ)神前に大般若経転読。
2神を従五位上、正五位下に叙す。
940年 天慶3 平将門追討報賽(ほうさい)のため、八幡大菩薩に封戸(ふこ)
30戸を寄進する
935年平将門の乱
1051年前九年の役
941年 天慶4 海賊追討使源経基、豊後佐伯院で海賊の頭目桑原生行を
捕らえる。
1063年京都岩清水八幡宮を勧請、
源頼義、鶴岡八幡宮(鎌倉)創建
1083年後三年の役
1156年保元の乱
1159年平治の乱
1173年親鸞聖、浄土真宗開祖
1180年10月6日頼朝、鎌倉へ入る
1181年1月15日平重衡(しげひら、
清盛五男)南都焼討(大仏殿焼失)
1144年 天養元 宇佐公道(うさのきみみち)豊前、宇佐神宮の大宮司(だいぐうじ)となる
1156年 保元元 宇佐宮造替により、九州各国に諸役が割り当てられる
1159年 平治元 平氏政権により宇佐公道(うさのきんみち)を豊前守に補任する
1183年 寿永2 平宗盛(三男、母時子・長男)、安徳天皇を奉じ大宰府に入る。
平氏、安徳天皇を奉じて宇佐宮に来る
緒方惟栄(これよし)・臼杵惟隆(これたか、緒方惟栄の兄)・日田永秀ら
平氏を大宰府より追う
1184年 元暦元 緒方惟栄ら、宇佐宮を焼討ちする
1185年 文治元 緒方惟栄・臼杵惟高ら、源範頼に兵船82艘を提供し、源氏を豊後へ
渡す。後白河法皇、院庁下文で豊後住人らを賞す
緒方惟栄、岡城築く、源義経を先導して九州下向途中に難破する。
源頼朝、申請して豊後国など9カ国を関東御分国とする
1185年:壇ノ浦の戦い
:源頼朝、義経追法
:守護地頭を設置
鎌倉時代
1192年頼朝が征夷大将軍に就任
1197年 建久8 「豊後国図田帳」を幕府に上申する
1206年 建永元 この頃、大友能直、養父仲原親能から所領所職を譲られたとされる 1203年比企能員の変(鎌倉)
1219年源実朝暗殺(鎌倉)
1221年承久の乱(後鳥羽上皇)
1232年鎌倉幕府執権北条泰時、
御成敗式目(51ヵ条)制定
1242年 仁冶3 大友頼泰、「新御成敗状」28ヵ条を定める
1271年 文永8 幕府、鎮西(西海道)に所領を有する御家人に、下向し守護の指揮に
従い異国防御にあたることを命じる
1274年 文永11 文永の役、蒙古襲来、少弐経資(しょうにつねすけ)、大友頼泰、諸志
を率い、筑前博多(現福岡県)で蒙古軍と戦う
1276年 建治2 一遍、大隅国から豊後国に入り、大友頼泰帰依する
1278年 弘安 角牟礼城(つのむれじょう)、築城主:森朝通
1281年 弘安4 弘安の役、蒙古再来、日本軍石築地により敵の上陸を阻止する
蒙古軍、台風に覆滅し敗退
1284年 弘安7 幕府、六郷山寺院に異国降伏の祈祷を命じる
1285年 弘安8 大友頼泰、「豊後図田帳」を幕府に注進する
1306年 徳冶元 大友貞親(さだちか)、万寿寺(大分市)を創建し、直翁智侃
(じきおうちかん)を開山とする
1333年 正慶2 大友貞宗、少弐貞経ら、後醍醐天皇に応じ、鎮西探題北条英時を
攻める
1333年、鎌倉幕府滅亡、
建武の新政(後醍醐天皇)
1334年 岡城改修・拡張:志賀貞朝(大友氏一族)
室町時代
(南北朝時代)
1336年足利尊氏が建武式目を制定(南北朝時代:1336年~1392年、57年間)
1336年 建武3 大友軍、足利尊氏に従って九州に下る。尊氏、宇佐宮に幡を奉納する。
大友貞順、南朝軍に従い玖珠城に拠る。大友軍尊氏の命を受け玖珠
城を攻める。大友ら九州勢、足利尊氏に従い上京し、楠木正成らを討つ
1336年湊川の戦い(後醍醐天皇、
新田義貞、楠木正成x足利尊氏、
直義兄弟、九州勢)
1355年 文和4 懐良(かねよし)親王(後醍醐天皇皇子)、日田に入り、ついで玖珠、
由布、挟間(はさま)を経て豊後国府に入る。大友氏一時くだる。親王、
さらに速見郡大神(現、日出町)、豊前国宇佐、城井を経て博多に
攻め入る
1361年 康安元 九州探題斯波氏経(しばうじつね)、大友氏時に迎えられ、豊後府中に
下り、高崎山城へ入る
1371年 応安4 九州探題今川貞世(了俊)子義範、田原氏能に先導され、豊後国高崎山
城へ入る。この年から翌年1月2日にかけて100余度、南朝の菊池武光ら
が高崎山城を攻める
室町時代 1392年足利義満(第3代将軍)南北朝統一 
1394年 明徳5 杵築城:木付頼直が築く
1403年 応永10 大内盛見、豊前国守護職に補任される
1416年 応永23 大友親著、豊後・筑後両守護職に補任される
1423年 応永30 大内盛見、宇佐行幸会を復興
1432年 永享4 大友氏と大内氏の合戦始まる
1435年 永享7 大友持直、守護職を没収しようとする幕府に対して、海部郡姫岳城に
こもるが、翌年、幕府により落城
1467年応仁の乱~
1496年 明応5 大友正親、義石父子不和となり、義石病死により正親が筑前国立花
(福岡県)に逃れる途中、赤間関(山口県下関市)にて大内義興に捕ら
えられ、自刃
1534年 天文3 大友義鑑(よしあき)、速見郡勢場ヶ原(杵築市)で大内義隆の軍と戦う
1550年 天文19 二階崩れの変。大友義鑑、家臣に襲われ府内館で死去、嫡子義鎮
(よししげ)、乱を平定し家督を嗣ぐ(大友氏第21代当主)
1543年鉄砲伝来
1549年キリスト教伝来
1517年ドイツ
ルターの宗教改革
1551年 天文20 フランシスコ・ザビエル、山口から豊後に招聘。大友義鎮、布教を許可
1552年 天文21 大友晴英、大内氏家督を嗣ぎ、大内義長と改名する(周防・長門大内氏
第17代当主、義鎮の実弟)
1555年 弘冶元 ルイス・アルメイダ、府内(大分市)に育児院を建てる
1556年 弘冶2 小原鑑元(おばらあきもと)の乱おこり、大友義鎮、臼杵・丹生島
(うすき・にゅうじま)へ避難
1562年 永禄5 大友義鎮、入道し宗麟(そうりん)と号す
臼杵城、築城主:大友宗麟
1571年 元亀2 大友軍、赤間関で毛利軍と戦う
安土桃山時代

1573年織田信長が15代将軍義昭を京都から追放、室町幕府滅亡。1576年織田信長安土城を築く
1578年 天正6 大友軍、日向に出兵し、土持親成を討つ。大友宗麟、カブラルから受洗し
ドン・フランシスコと称す。大友軍、日向国高城(宮崎県木城町)で
島津軍と戦い敗北
1580年 天正8 巡察師ヴァリニャーニ、臼杵にノビシヤド(修練院)を開設
1581年 天正9 ヴァリニャーニ、府内にコレジオ(司祭、修道士育成のための高等教育
機関)開校
1582年 天正10 伊東マンショら遣欧少年使節、長崎を出発 1582年本能寺の変、太閤検地
1583年羽柴秀吉、大阪城を築く
1586年 天正14 大友宗麟、島津軍の侵攻に備えて上坂し、豊臣秀吉に援軍を求める
島津軍、日向国、肥後国から豊後国に攻め入る、戸次川(へつぎがわ)
合戦(大分市戸次・大野川)。大友義統(よしむね、第22代当主、宗麟
嫡男)ら大敗し、府内は蹂躙される
1587年 天正15 豊臣秀吉の本体が九州に入り、島津軍撤退する。大友宗麟、隠居先の
津久見にて死去する。黒田孝高(如水)、豊前国6郡を領す。宇佐、下毛
上毛の武士、連合し黒田氏に抗す。毛利勝信、豊前国2郡を領す
1588年 天正16 中津城築城主:黒田孝高(よしたか)(如水)通称:黒田官兵衛
1590年 天正18 黒田氏、この頃までに豊前国を平定する
1591年 天正19 大友義統、「豊前国検地目録」を増田(ました)長盛(秀吉、五奉行)に
提出


秀吉朝鮮出兵
1592年文禄の役
1592年 文禄元 大友義統、朝鮮国出陣
1593年 文禄2 大友義統、文禄の役における失態を糾され改易。豊後国は豊臣秀吉の
蔵入地となる。宮部継潤(みやべけいじゅん)
1594年 文禄3 豊臣秀吉、豊後国を再分配、中川秀成に岡7万石、福原直高に臼杵6万石、
早川長敏に府内1万2000石、竹中重利に高田1万5000石、垣見一直に
富来(とみく、国東市)2万石、熊谷直陳に安岐1万5000石、宮木長次郎、
毛利高政らに日田、玖珠郡など分封
1596年 慶長元 慶長豊後地震、別府湾、瓜生島(うりゅうじま、沖の浜が海中に没する
1597年 慶長2 臼杵城主福原直高、大分、速見、玖珠郡など6万石が加増され、府内城
(荷揚城)構築にかかる。この年、太田一吉(おおたかずよし)、臼杵に
報ぜられ、領内を検地
1597年慶長の役
1598年秀吉死去
1600年 慶長5 オランダ船リーフデ号、臼杵・佐志生(さしう)沖に漂着(3月16日)。
関が原の戦いおこり、大友義統は西軍につき、速見郡石垣原
(現、別府市)にて細川、黒田連合軍と戦い大敗。岡城主中川秀成、
臼杵城に太田一吉を攻め降す。徳川家康、中津城主黒田長政を
筑前52万石に、細川忠興を豊前35万9000石に、稲葉貞道を臼杵
5万石に封ず
1600年(慶長5年9月15日)
関が原の戦い
1601年 慶長6 日出城築城主:木下延俊
徳川家康、来島康親(くるしまやすちか、改名長親)を豊後森(玖珠町)
に封ず。竹中重利、高田城より府内城2万石、預り地1万5000石に
封ぜられ、城下町を整備。毛利高政は日田郡の隈城より佐伯に、
木下延俊は日出に封ぜられる。この夏、肥後国の加藤清正、天草郡
の替地として、豊後国大分郡、海部(あまべ)郡、直入郡の一部を
与えられる
1602年小倉城築城細川忠興
江戸時代 1603年徳川家康が征夷大将軍に任命 産業革命・
イギリス18世紀後半~
東西本願寺別院(宇佐市四日市)
1578年
1600年
1623年
1637年

1744年
1748年
1825年
天正5




寛保4
延亭5
文政9
出家入道四日市領主渡邉加賀守
真勝寺道場統述
實相山真勝寺親鸞上人御影申し受け
真勝寺(別院)騒動寺社奉行大岡越前裁き 公儀召し上げ後、東派へ
下げ渡される
四日市御坊真勝寺本願寺兼帯所豊前四日市
浄土真宗本願寺派(西)正明寺移転建立
四日市別院浄土真宗大谷派(東) 九州御坊として本堂、伽藍の整備
1614年 慶長19 豊後でキリシタンの迫害
1615年 元和元 国東郡出身のペトロ岐部カスイ、マカオへ渡航
1622年 元和8 細川忠利、豊後国、豊前国などの人畜改め(じんちくあらため、家数人馬数
の把握)を行う
1623年 元和9 幕府、越前北庄城主松平忠直(一伯)を改易し、豊後国萩原(現大分市)に
流し賄料5000石を宛行う
1632年 寛永9 細川忠利、肥後国54万石に封ぜられ、豊後国内にも領地を持つ
幕府、小笠原長次(ながつぐ)を豊前国中津藩8万石に、弟忠知(ただとも)
を豊後国杵築藩4万石、松平重直を豊前国龍王(りゅうおう)藩(現宇佐市
安心院町、龍王城)3万7000石、1639年高田城に居城を移す(高田藩、
現、豊後高田市)
1634年 寛永11 幕府、日根野吉明(ひねのよしあき)を府内藩2万石に封ず
1636年 寛永13 府内藩、柞原(ゆすはら)宮、放生会(ほうじょえ)に市を復興し、浜の市と
名ずける
1639年 寛永16 日田が、江戸幕府の直轄地天領(幕府領)となる
1642年 寛永19 日出藩木下延俊の死去にともない、遺領2万5000石を長子俊治に、5000石
を次子延次に分与、立石領成立
1645年 正保2 杵築藩小笠原忠知を三河(現、愛知県)に移し、高田藩松平英親を杵築藩に
封ず
1647年 正保4 岡藩、臼杵藩が絵図元となり、「豊後国国絵図」を作成
1650年 康安3 府内藩、初瀬井路(はつせいろ)を開く
1656年 明暦2 府内藩主、日根野吉明(ひねのよしあき)死去、嗣子(しし、あととり)なく
封を没収される
1658年 万冶元 大分郡高松藩(現、大分市日岡)、松平忠昭、府内藩に封ぜられる
1663年 寛文3 府内の商人、橋本五郎左衛門、七島蘭(しちとうい、畳表)移植に成功する
1689年 元禄2 中津藩、荒瀬井路(本耶馬溪町樋田)完成する
1694年 元禄7 貝原益軒(本草学者、儒学者)、史跡調査のため豊前、豊後を訪れる
1700年 元禄13 豊前四日市陣屋設置、天領日田代官所管轄。
その後:豊前四日市陣屋跡地利用(宇佐市四日市)、1911年宇佐郡実科
高等女学校創立(明治44年)、1953年大分県立四日市高等学校改称
(昭和28年)、2007年大分県立宇佐高等学校統合(平成19年)
1735年 享保20 青の洞門、禅海和尚(ノミと鎚のみ、30年、手掘り  1716年~享保の改革・徳川吉宗
1771年 明和8 中津藩医、前野良沢(蘭学者)ら、腑分け(解剖)を試みる
1774年 安永3 解体新書(ターヘルアナトミア)刊行、前野良沢、杉田玄白、中川淳庵、
桂川甫周(ほしゅう)
1781年 天明元 佐伯藩毛利高標(たかすえ)、城内に佐伯文庫を開き、内外の書を収集
1783年 享和3 岡藩、田能村竹田、伊藤境河ら、唐橋(からはし)世済(君山)の遺志を
継ぎ、「豊後国志」を完成する
1807年 文化元 杵築藩領、両子手永の百姓、島原藩領(現豊後高田市)に逃散。
浅黄半襟逃散(あさぎはんえりちょうさん)一揆
1807年 文化4 岡藩勝手方御用掛、横山甚助(じんすけ)、増徴、流通統制を目指し「新法」
実施。
1810年 文化7 伊能忠敬ら、九州測量のため中津城下に到着
1811年 文化8 岡藩領直入郡四原(柏原、恵良原、葎原(むぐらばる)、菅生原)の農民蜂起し
横山甚助の「新法」廃止を要求。臼杵藩領に一揆波及
1812年 文化9 一揆、豊後、豊前国内の延岡藩領、佐伯藩領、府内藩領、肥後藩領、
中津藩領、島原藩領と玖珠、速見、宇佐郡の幕府領にも広がる。岡藩、
横山甚助を罷免、そのほかにも「新法」加担者を処罰
1817年 文化14 廣瀬淡窓、日田郡豆田町の桂林荘を堀田村(現日田市)に移転し、咸宜園
(かんぎえん)とする
1818年 文政元 杵築藩領の国東郡浦辺地方で打ちこわし発生
1823年 文政6 日田郡豆田町の豪商広瀬久兵衛、西国筋郡代(さいごくすじぐんだい)、
塩谷正義(しおのやまさよし)の命を受けて、小ヶ瀬井路(おがせいろ)を
完成
1824年 文政7 塩谷正義、宇佐郡北鶴田新田の工事に着手
1831年 天保2 臼杵藩、藩政改革のため第11代藩主、稲葉雍通(いなばてるみち)の直書
を発表
1832年 天保3 帆足万里(ほあしばんり)、日出藩家老に就任し、藩政改革に着手
1833年 天保4 この冬、森藩、藩政改革に着手
1834年 天保5 中津藩、藩政改革に着手
1835年 天保6 帆足万里、家老職を辞し、日出の家塾で教授開始
1836年 福沢記念館、福沢諭吉旧居
1838年 天保9 中津藩の黒沢庄右衛門、撫育会所(ぶいくかいしょ):藩の家中、町人の
負債救済機関)を創設。藩主第7代奥平昌猷(おくだいらまさみち)
1841年天保の改革:老中水野忠邦
第11代将軍徳川家斉(いえなり)
1842年 天保13 府内藩第8代藩主、隠居松平近訓(ちかくに)号は閑山、、藩政改革の号令
を発し、日田郡豆田町の豪商広瀬久兵衛を登用し、藩財政の収支を委ねる
1850年 嘉永3 豊後国北東部に大風雨
1853年 嘉永6 賀来惟熊(かくこれたけ)、島原藩領宇佐郡佐田村に(現、安心院町佐田)
大砲を鋳造。
「豊前羅漢寺下道」歌川広重六十余州名所図解(浮世絵版画)
1855年 安政2 賀来惟熊、島原藩領宇佐郡佐田村に反射炉を建設
1864年 元治元 長州藩攻撃のため、英米仏蘭の4ヵ国連合艦隊、姫島沖に集結する
1866年 慶応2 杵築藩領で打ちこわし、一揆城下へ向かう 1866年1月薩長同盟
1867年 慶応3 岡藩兵、朝廷の命により上京。臼杵藩主稲葉久通、病気のため名代の
上京を申請。以後、日出、中津、佐伯藩主が同様の願いをする。
10月14日大政奉還、第15代将軍徳川慶喜、12月9日王政復古の大号令、
明治天皇、第122代、父:孝明天皇
明治時代
1868年(明治元年)1月3日~6日 鳥羽伏見の戦い 戊辰戦争
1868年 明治元 佐田秀(さだひずる)ら、尊王攘夷派志士、長州藩浪士らと四日市陣屋、
東本願寺別院(宇佐市)を襲撃し御許山(おもとやま)に拠る(御許山騒動)
下毛、日田、玖珠郡の幕府領長崎裁判所管内に編入。松方正義、日田県
知事となる
1868年五箇条の御誓文を発布
1869年 明治2 版籍奉還。各藩主、知藩事に任命される。日田、大野、直入、国東、宇佐郡
で農民騒擾(そうじょう)
1870年 明治3 日田、玖珠郡や庄内、別府、山香で農民蜂起
1871年 明治4 廃藩置県。中津、杵築、日出、府内、臼杵、佐伯、岡、森、日田県成立。
第一次府県統合により旧豊前国に小倉県(2町774村)、旧豊後国に
大分県(17町1801村)成立。初代大分県長官(参事、のちに県令)に
森下景端(かげなお、元岡山藩士)なる(赴任は1872年1月)
1872年 明治5 大区小区制施行、大分県は8大区159小区を設置。大分県で県中四郡一揆
(大分郡で勃発、海部、大野、直入の三郡に広がった農民一揆)おこる
1873年 明治6 玖珠郡で徴兵反対強訴(血税騒動)
1875年 明治8 大分県で大規模な小区区画再編成(160小区、8町792村)
1876年 明治9 小倉県を福岡県に編入。下毛、宇佐2郡は大分県に編入。「田舎新聞」創刊
1877年 明治10 西南戦争勃発(1月29日~9月24日)、増田栄太郎ら中津隊、薩摩郡に
呼応し、中津支庁、大分県庁を襲撃する。県北四郡一揆おこる。薩摩郡、
大分県に侵入。 大分に第二十三国立銀行開業
1879年 明治12 県内でコレラ発生し、西日本一帯に広がる
1880年 明治13 県立病院、県医学校開設
1885年 明治18 県立大分中学校(現、県立大分上野丘高校)設立
1889年 明治22 町村制施行。大分県は14町265村となる
1893年 明治26 大分銀行営業開始
1900年 明治33 県立第一高等女学校(現、県立大分上野丘高校)設立。豊州電気鉄道
株式会社営業開始。別府、大分電車開通
1901年 明治34 瀧廉太郎少年時代竹田で過ごし、岡城をイメージ作曲「荒城の月」
作詞:土井晩翠
1912年 明治45 双葉山生誕 穐好定次生家 相撲資料館 横綱69連勝
大正時代 1912年明治45年7月30日明治天皇崩御、皇太子嘉仁(よしひと)親王が、大正天皇
(第123代)践祚(せんそ、即位)
1913年 大正2 大分紡績株式会社操業開始
1916年 大正5 日鉱製錬株式会社佐賀関製錬所操業開始
1918年 大正7 臼杵で米騒動発生
1919年 大正8 菊池寛「恩讐の彼方に」短編小説、中央公論
1922年 大正11 富士紡績株式会社、大分紡績株式会社合併
1923年 大正12 日豊本線全通
昭和時代 1926年(大正15年12月25日大正天皇崩御、皇太子裕仁(ひろひと)親王が、昭和天皇
(第124代)践祚(せんそ、即位)
1928年 昭和3 豊肥本線(熊本~大分)全通
1931年 昭和6 富士紡大分工場争議始まる 1931年満州事変
1932年5・15事件犬養首相暗殺
1934年 昭和9 久大本線(久留米~大分)全通 1936年2・26事件高橋是清蔵相暗殺
1938年 昭和13 大分海軍航空隊開隊 第2次世界大戦(1939年~1945年)
1939年 昭和14 宇佐海軍航空隊開隊(柳ヶ浦) 1939年ノモンハン事件(満州、モンゴル)国境紛争
1941年 昭和16 大分放送局開局 1941年(昭和16年)12月8日
真珠湾攻撃、太平洋戦争突入
1942年 昭和17 豊州(ほうしゅう)新報と大分新聞社が合併し、大分合同新聞社となる
1945年 昭和20 大分大空襲、大分市の中心街ほぼ焼失、第二次世界大戦終結(8月15日)
1946年 昭和21 県、農地部を設置し、農地改革本格化
1947年 昭和22 細田徳寿(とくじ、茨城出身)、初の公選大分県知事に当選
1949年 昭和24 大分大学開学
1950年 昭和25 別府国際観光温泉文化都市建設法公布
1957年 昭和32 大分空港開港(1968年供用廃止)。アメリカ軍、別府キャンプの接収解除
1959年 昭和34 NHK大分放送局開局。大分鶴崎臨海工業地帯1号地で建設起工式
1966年 昭和41 第21回国民体育大会(剛健国体)開催
1971年 昭和46 新大分空港(現、大分空港)開港。新日本製鉄大分製鉄所操業開始
1976年 昭和51 大分医科大学(現、大分大学医学部)開学
1979年 昭和54 県知事平松守彦、「一村一品運動」を初めて提起
1981年 昭和56 第1回大分国際車いすマラソン大会開催
平成時代 1989年1月7日(昭和64年)昭和天皇の崩御、皇太子明仁(あきひと)親王が第125代天皇に即位
平成元年1月8日に昭和から平成へ改元
1989年 平成元 大分自動車道、別府~湯布院間開通
1994年 平成6 宇佐別府道路全線開通 阪神淡路大震災1995年1月17日
午前:5時46分発生
1996年 平成8 大分自動車道全線開通
1998年 平成10 第13回国民文化祭・おおいた98開催
2002年 平成14 ビッグアイ(現、大分銀行ドーム)でFIFAワールドカップの試合開催
2005年 平成17 「平成の市町村大合併」〔~2006年)で大分県は14市3町1村になる
2006年 平成18 大分県のフラッグショップ「坐来大分」が、東京銀座にオープン
2007年 平成19 県内初の県立中学校として、大分豊府中学校開校。別府市で、36ヵ国の
首脳・リーダーが参加して、第1回アジア・太平洋水サミット開催
2008年 平成20 第63回国民体育大会(チャレンジ!おおいた国体)・第8回全国障害者
スポーツ大会(チャレンジ!おおいた大会)開催
東日本大震災2011年3月11日
午後:14時46分
2013年 平成25 国東半島宇佐地域が「世界農業遺産」に認定
二階堂正広、「恩讐の彼方に」漫画単行本発行、新潮社
2015年 平成27 東九州自動車道県内全線開通
2016年 平成28 熊本地震発生(県内最大震度6弱)。日田祇園の曳山行事が「ユネスコ
無形文化遺産」に登録
令和時代 2019年5月1日第125代天皇明仁が退位され上皇になり、明仁の第一皇男子である徳仁親王が
第126代天皇に即位(天皇の譲位に伴う改元)
2022年 令和4 大分県の歴史散歩・年表 HP掲載(2022年1月17日~更新)

参考文献:大分県の歴史散歩、写真と絵でわかる「日本史」 etc.