大分・九州の観光資源/Oita-Kyusyu Tourism


大分・九州 Oita Kyusyu
大分県:18市町村(14市3郡3町1村)、面積約6,340K㎡、人口約1,105,835人、人口密度174人/k㎡
大分県 九州の北東部に位置
中津市(8.1万人なかつ)/宇佐市(5.1万人うさ)/豊後高田市(2.1万人ぶんごたかだ)/姫島村(1.6百人ひめしま)/国東市(2.5万人くにさき)/杵築市(2.7万人きつき)/日出町(2.7万人ひじ)/別府市(11.3万人べっぷ)/由布市(3.2万人ゆふ)/大分市(47.4万人おおいた)/臼杵市(3.4万人うすき)/津久見市(1.5万人つくみ)/佐伯市(6.4万人さいき)/豊後大野市(3.2万人ぶんごおおの)/竹田市(1.9万人たけた)/九重町(8.2千人ここのえ)/玖珠町(1.3万人くす)/日田市(6.1万人ひた)/(18市町村)
日出城跡(暘谷城)
北部
中津市 中津耶馬溪観光協会
中津城 1588年(天正16年)黒田官兵衛が造営、細川、小笠原、奥平と続き1871年(明治4年)廃城。
天守閣は昭和39年(1964年)再建、石垣は築城当時のものが残る。奥平家歴史資料館。

福沢諭吉旧居 天保7年(1836年)、1歳6ヶ月の時、父の急死により、大阪の中津藩蔵屋敷から藩地の中津へ
帰る。以後、青年期まで過ごす。福澤記念館。

耶馬溪 およそ200年前頼山陽が耶馬溪と名付ける。平成29年に中津市、玖珠町にまたがる広大な
景勝地、日本遺産「耶馬溪遊覧~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~」文化庁認定。

青の洞門 禅海和尚は享保20年(1735年)岩窟を掘りはじめ、30年(明和元年)1764年、全長342m
トンネル部分144m洞門を完成。菊池寛「恩讐の彼方に」、二階堂正宏「恩讐の彼方に」漫画。

羅漢寺 岩窟寺院、「古羅漢」の探勝道では、五百羅漢をはじめ約二千体の石仏。

八面山 中津、宇佐から目に入るテーブル状の山。様々な伝説を持つ巨石が群れをなす霊峰。
約1000年前から周辺には古代仏教文化が花開き、人々は周辺の岩窟に仏道を安置。

宇佐市 宇佐市観光協会宇佐市
宇佐八幡宮 全国に4万社あまりある八幡様の総本宮、八幡大神(応心天皇)・比売大神(ひめおおみかみ)・
神功皇后をご祭神にお祀りし、725年に創建。鎮守の神。

双葉の里 双葉山生誕の地。相撲界で不滅の69連勝記録。本名:穐吉定次、明治45年、天津村布津部
に生まれる。天津小学校。

東椎屋の滝 日本の滝100選、高さ85m、日光華厳の滝に似ているところから「九州華厳」と称されている。

福貴野の滝 雄滝と雌滝からなり、高さ65m、滝を裏から見ることができるので「裏見の滝」とも言われている。

西椎屋の滝 日本の滝100選、高さ86m、東椎屋の滝、福貴野の滝とともに「宇佐の三滝」。

豊後高田市 豊後高田市観光協会
国東半島 古代(~平安時代)、六つの郷・来縄(くなわ)・田染(たしぶ)・伊美(いみ)・国東(くにさき)・
武蔵(むさし)・安岐(あき)に分かれていた。宇佐神宮の領地(荘園)。

六郷満山文化 宇佐神宮は、神社の境内に弥勒寺(みろくじ)を建て、神と仏が一体となって社寺を形成。
神仏習合の発祥。その僧たちが修行の場に選んだのが、国東半島の山や谷でした。

こうした山や谷は霊場となりやがて寺院となって胎蔵寺(熊野磨崖仏)・長安寺・応暦寺・天念寺
・無動寺・雲仙寺、宇佐神宮が領主の威光を示すため、荘園内に開いた伝乗寺(真木大堂)・
富貴寺など、その数60ヶ所以上を擁する一大寺院郡となり、奈良・京都に次ぐ千年の仏国として
六郷満山文化が開花しました。

大分県の四つの国宝
富貴寺大堂(阿弥陀堂建築)・臼杵磨崖仏・宇佐神宮本殿、宝物館・孔雀文磬(くじゃくもんけい)
読経の合図等に用いる仏具。

石造文化財 石造物は六郷満山の信仰深いものや、武士の建立によるものが多く、この地で生活した人々の
信仰心のあらわれであるといえます。国や地域の平和、そして仏教を信仰する人々がみな仏の
御利益をを受けられますようにと願うとともに、亡くなった先祖の菩提をとむらい、また、極楽往生
を願うなど、昔の人の心にふれることができます。

昭和の町 江戸時代から海上運輸の要所で京阪神に行き来した運搬船が停泊。道路は五本の幹線が集まり
半島奥地や海岸部、宇佐方面への要所となっていました。しかしだんだんと時代に波に取残され、
昭和の30年代の活気を蘇らせようと平成13年に立ち上げ、現在40店舗ほどになっている。

国東市 国東市観光協会
宇佐神宮六郷満山霊場 長慶寺、報恩寺、丸小野寺、興導寺、賽命寺(小城観音)、千燈寺、清浄光寺、行入寺、神宮寺、
両子寺、泉福寺、文殊仙寺、岩戸寺、成佛寺、大聖寺、瑠璃光寺。

国見郷愛記念館 国見町が生んだ画家「江藤哲」、陶芸家「河合誓徳」、獣医で写真家「竹田津実」氏の記念館。
当時の精米機など残る精米所を改装。

行入ダム 景観的要素も取り入れたシビックデザイン、周辺には公園も整備、上流には本格的なパークゴルフ
場もあります。

姫島村 大分県姫島村
姫島ジオパーク 大地をつくる岩石、地形、土壌、生態系や人々の暮らしの中で作られた歴史文化を理解する
ことで魅力ある島づくりを目指します。

大帯八幡社本殿 村民尊崇の産土の神。

中部
杵築市 杵築市観光協会
杵築城 室町時代初期、木村によって1394年築城、城主も前田、杉原、細川と入れ替わり小笠原氏、
松平氏を最後に江戸時代も終わりをつげた。城跡には三層の天守閣。

奈多・狩宿海岸 伊予灘に面して南北2kmに及ぶ美しい白砂と黒松の老木が並ぶ海岸線。海水浴場。

横岳自然公園 六郷満山文化が栄えた国東半島のほぼまん中、横岳(390m)がそのまま自然公園と
なっている。

日出町 日出町観光協会
日出城址 関が原の戦いの功績により、豊後国日出3万石、初代藩主木下延俊(のぶとし)は慶長6年
(1601年)築城。睗谷城(ようこくじょう)と呼ばれ、今は天守閣跡、城壁、お堀跡が残る。

別府市 別府観光協会
別府八湯 別府、鉄輪(かんなわ)、浜脇、観海寺(かんかいじ)、明礬(みょうばん)、堀田、柴石、亀川。

貴船城 平安時代末期、源頼朝の叔父にあたる鎮西八郎、源為朝がこの地に砦を作ったという言い伝えに
基づき、1957年(昭和32年)に建てられた。

地獄めぐり 鉄輪・亀川の地獄地帯は、千年以上も昔より噴気・熱泥・熱湯などが噴出し、近寄ることもできない
忌み嫌われた土地であったと「豊後風土記」にあり、そんなところから「地獄」と称せられるように
なりました。海地獄、地の池地獄、龍巻地獄、白池地獄、鬼坊主地獄、鬼山地獄、かまど地獄。

別府ラクテンチ 1929年(昭和4年)オープン、90周年を迎える。フラワー大観覧車、大吊橋、絶景の湯などの新遊具
が続々登場。

アフリカンサファリ 九州自然動物公園、約115haの敷地内にシロサイ、キリン、ライオン等70種類1,300頭の動物
たちの野生の生態を見学できる。

大分市 大分市観光協会
府内城跡 大友氏の後、豊臣秀吉は豊後国を七つに分割し馬廻り衆に分け与えた。慶長2年(1597年)
福原直高築城。荷揚城(白雉城)とも称した。以後、早川、竹中重利が城主になり、慶長7年
(1602年)未完成の天守閣や楼閣など全容を完成、府内城と改め、日根野、松平と明治4年
(1871年)廃藩置県まで続く。

高崎山自然動物園 標高628mの高碕山には、現在約1230頭の野生のニホンザルが生息。柵がないため、
サルの生き生きした様子を間近で見ることができます。

由布市 由布市役所
湯布院観光 湯布院温泉、湯平温泉、塚原高原、庄内地域、狭間地域等。

由布岳 標高1584m、双耳峰をもち、豊後富士と呼ばれ、古くから山岳信仰の対象として崇められ
ている。

臼杵市 臼杵市観光情報協会
臼杵石仏 古園石仏大日如来像に代表される臼杵石仏(磨崖仏)は、平安時代後期から鎌倉時代に
かけ彫刻。その数は60余体、59体が国宝指定。

臼杵城跡 キリシタン大名、大友宗麟の居城。以降、福原、大田、稲葉廃藩置県後、明治6年
(1873年)廃城。取り壊され、本丸、二の丸は公園地に指定。現在は2つの櫓と書院の
庭園の一部、石垣を残す。

津久見市 津久見市観光協会
つくみいるか島 うみたま体験パーク、自然の海に多くのいるかたちが暮らしています。他にアザラシ、
ペンギンをはじめたくさんの魚、海の生き物たち。

西部
日田市 日田市観光協会
日田天領まつり 文禄3年(1594年)豊臣秀吉の蔵入地(直轄地)として、代官所が置かれた。その後
徳川幕府の天領(直轄地)となり。九州の政治経済の中心地として栄えた。当時、
江戸や上方、長崎との経済や文化の交流も多く、町人文化も栄えた。日田豆田町、
天瀬、大山、前津江、上津江、中津江。

玖珠町 玖珠町観光協会
伐採山(きりかぶさん)
玖珠盆地の山々はメサ(伐採山・685.5m、万年山、大岩扇山、青野山など)、
ビュート(川上岳、角埋山)と呼ばれるテーブル上の影をしたものが多く見られます。

九重町 九重町観光協会
久住山 標高1786m、九重連山の主峰。

竹田市 竹田観光ツーリズム協会
岡城跡 標高325mの高さにたつ堅城。文禄3年(1594年)豊臣秀吉の命でこの地に入った
岡藩初代藩主中川秀成が石垣づくりのお城にした。「荒城の月」滝廉太郎像。

南部
豊後大野市 豊後大野里の旅公社
豊後大野ジオパーク 9万年前の阿蘇山大噴火の際の火砕流噴出物が冷え今の大地へ。白山渓谷、
沈堕の滝、滞迫峡、岩戸の景観等。

佐伯市 佐伯市観光協会
佐伯城跡 1602年(江戸時代)毛利高政により総石垣の山城を築城。空を羽ばたく鶴のような
城作りから「鶴屋城」と呼ばれる。


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